[商店街の不都合な真実]なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか (No.1001) | 経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

簡単にいえば、「商店街はまちづくりとかコミュニティがうんぬんやめて、ちゃんと本業頑張ろうぜ」、というテーマの一冊。 著者の方とはひょんな機会でお会いした以降、ご無沙汰していたのですが、今回新著を出されていたので気になってツイートしたら、編集の方から献本頂きました。誠に有難うございます。そして、届いた瞬間に一気読みいたしました。「商店街ってもう衰退しまくっているよなぁ」と思っている商店街活性化とかには当然関わっていない大多数の一般の方に向けて、その業界事情を平易に書くことに徹されているのがよくわかる一冊です。 ◯商店街の自己評価でも繁栄しているのは1% さてタイトルにもなっている「繁栄している商店街が1%しかない」というのは冗談ではないのです。 何年かに一度、中小企業庁の委託調査事業で実施している「全国商店街実態調査」(以下のURLに一式ありますのでどうぞ)の平成21年度版で商店街が自ら「繁栄している」と回答している割合が1%なのです。以下、繁栄の兆しがある2.0%、まあまあ横ばいである17.9%、衰退のおそれがある33.4%、衰退している44.2%と続く。と、一応、商店街自身の主観(贔屓目はいって)でも「うちは繁栄しているよなー」と回答しているところが1%しかないということです。 1970年の調査では、39.5%の商店街が「繁栄している」と回答していたのに・・・・。ということなのですよね。 【参考】全国商店街振興組合連合会公式サイト「商店街実態調査」 ま、じゃあ、なんでこの40年くらいで、一気に繁栄しなくなったのか、という話になるわけです。 かつてはダイエー、今はイオンができたから、ヤマダ電機がきたか、駅内に店が開発されたから、という競合商業集積に対するものか、もしくは駐車場がないから、雨に濡れるから、街灯が少なくて暗いから、監視カメラがなくて安全じゃないから、という自分たちに原因があるのではなく、外部環境要因によって衰退しているのだ、というようなことが言われたりします。。。そして、その対応策が補助金などで支援されたりする。共同店舗を開発して大型店対策をしたり、駐車場開発、アーケード開発、LED街路灯開発、監視カメラ設置などなど、そしてそれらが実施された商店街は活性化したということで「成功事例集」に掲載されていく。。。とまぁそういうわけでございます。 ◯成功事例集にのっている商店街の多くは、活性化していない。 しかしながら、著者は「成功事例集にのっている商店街のほとんどで活性化していなかった」と自身の調査経験から語っています。ま、これは商店街◯◯選とかの商店街をみればよく分かる話です。新・商店街◯◯選にいたってはますますもって。 これは僕も常日頃Twitterとかでも指摘していますが、補助金を入れた案件が失敗したら困るので、「成功事例集に掲載する」という側面があります。あとは特段故意ではなく、成功事例集の調査を実施する際に案件調査のパイプとして全国各地に存在している経済産業局をベースにします。それぞれの経産局の所管エリアの成功事例を出すようにいわれるのですが、当たり前なんですが、経産局の方々の多くは補助金を現場で運用されている方々なので、普段は補助金を申請にきて取り組みをしている商店街のことは熟知されているのです。が、そもそも補助金を使わずして活性化している商店街、もしくは商店街さえ全く関係なく不動産オーナーや一部の事業家とかがやってる活性化の情報というのは、あまり知る術がないのです。つまり経産局にきて「補助金ください」と言わない、勝手にやって成果をあげている商店街活性化事例の情報はあまり耳に入らないということなのです。仕方ないですね。情報は常に非対称なのです。現場の網羅的な情報は、役所の情報ルートでは調査できないのです。 結果として、成功事例集は補助金を使ったケースを中心にとりまとめられざるを得ない、シンボル事業は巨額の補助金を活用したもの、という境遇にあったりします。そして時のシンボル事業は後に必ず経営危機に陥るということも定番です。まちの活性化の『起爆剤』が別の意味で起爆するわけです。起爆済みの再開発事業などは全国に多数ございますが、「失敗事例集」は作られませんので、転ばぬ先の杖がないというところであり、失敗は繰り返されます。 ◯活性化しない理由は「コミュニティ活動」と「まちづくり活動」をやっているから。 これは商店街は地域で社会的価値がある、商店街=コミュニティの担い手といったような解釈で、商店街の共同でのまちづくり活動に補助金を支給してきた、商店街組織での活動に支援をしてきた、その政策コンセプト自体に間違えがあると本書でも指摘しています。これは全くもって私も異論は有りません。 中小商業政策は「産業政策」です。決して社会保障事業ではありません。 しかし中小商業は弱いと決めつけて、それを保護して欲しい、保護しようという方向性で議論が進み、さらにいつのまにかその保護するための補助金の受け皿として商店街振興組合などが地域商業の対象であり、前提になってしまった。農業を振興することが、農協活性化策になってしまっている問題と同じだと指摘しています。知り合いの農業ベンチャーの経営者とも「商店街も農業も似てるね」と前に話していたことがありましたので、これは全くもってそうなってしまっていると感じるところです。個別の中小店舗にとっての商店街施策ではなく、「商店街」という団体に対する支援策になっているわけです。そしてこの根拠を支えるために「商店街は弱いけれども、地域にとって大切でしょ、だから補助金ちょうだいね」という路線になっているわけです。各店舗の私有財産に税金は使えない、税金で金儲けされてはこまるということで、なぜか儲けるためにやっているはずの商店街が、いつのまにやらコミュニティだの、まちづくりだの、といった活動をやるようになっていきます。 かつては儲かっていたので、その儲けを地域活動に資するという、ある意味で富める者として地域を支えるという役割だったのが、いつのまにか儲かりもしないのに地域活動を税金もらってやる、という意味不明な方向に転換していってしまったのです。 結果として貴重な店舗経営にかけるべき時間の多くを、今ある加盟店だけを中心にして、それらを活性化するための施策としては「コミュニティ」と「まちづくり」に絶賛大投入!! 本来、産業政策に必要なのは、「生産性改善」(少ない財で大きなスループットを生み出すことでの社会生産性の向上)を目指しながら、具体的には「新陳代謝の促進」(常に競争があり、より魅力的な商品・サービスが出てくるダイナミクスの確保)です。 共同事業はコストが増大するような設備に投資するのではなく、本来であれば各店舗の財務が改善するようなことに投資するのがあまり前なんです。例えば、商店街は一銭の金も生まない街路灯やカラー舗装に各店舗が負担金を支払うのに対して、工業団地の中小企業組合は、各企業の電力代金を軽減するために共同受電事業に投資します。皆で一括して電気を購入するて電気利用料金単価が引き下がるため、各企業は利益を生みやすくなるandコスト競争力が増す=生産性が向上するという話だからです。つまり産業政策としては、共同して売上のために"なるかもしれない"ようなことにコストを払うのではなく、しっかり利益を生み出すことに貢献する事業に投資すべきなのです。今のモデルとは活性化事業やればやるほど負担が増えるという構造です。 あわせて、組合員向けの事業ではなく、新陳代謝が大切。大手商業にしても芳しくない店舗は退店してもらい次なるテナントを入れます。ネット店舗でも同様に売上の悪い店はどんどんランキングを落としたり、検索にひっかからなくなります。けど、それによってそれぞれは、強いものが常に生き残り、魅力を保っているわけです。 しかし商店街では、既存店舗のオーナーは自分の持ち物件であることもあり、過去の蓄財もあるため、しっかりと新陳代謝を生み出さない期間を経て、結果としては購入する消費者にとっては全く買う動機が見当たらない店ばかりが立ち並ぶ場所になってしまったわけです。 1%しか繁栄していないとしても、業態を一部でも変える店は17.4%に以下のように留まっており、さらにもはや大型店との競争でさえ問題ではなく、もう魅力ある店がなく、後継者もいないと認識している人たちが半数近くを締めるようになっているわです。 それをどんだけ業績が悪くても業態を変えたりせず、同じ人達で経営を続け、さらに商店街としては本業の改善に直結しない「コミュニティ」と「まちづくり」に時間も金も費やしてしまった。 結果として今の商店街、つまり核となる店も魅力のある店もなくなり、高齢化が進むけど誰も継いでくれないくらいしか儲からない、という状況があるわけです。けど、過去の蓄えがあるので、自分たちが死ぬまではほどほどに食っていける、もしくは周辺にマンションとかモールに専門店街に店持っていたりとかで、別のルートで収入があるから、そこまで商店街にある店の活性化には力を入れない、みたいなこともあったりするわけです。勿論困っている人もいますが、けどやっぱり物件放置してもいきなり生活が行き詰まらないという人は余裕があるわけです。口では大変だといいつつも、本当に苦しい人は、とっくの昔に二束三文でも売っぱらったり、夜逃げしてしまったりしているのですから。 【参考】シャッター商店街の敵は"豊かさ"!? (No.966) ◯本業回帰の中小商業活性化を。 本書で言われているのは、つまりは衰退しているのは「商売に集中してこなかったからじゃないの?」という話なのです。…

公共施設も”シェア”の時代。 (No.967) | 経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

地方都市との関わりが多いと、全く信じられないことが沢山ある。 その一つが、数千人のまちであっても、数十万人のまちであっても、同じように公共施設をパッケージ的に作っていこうという流れがある。体育館でも、学校でも、病院でも、図書館でも。ただ行政区域に縛られる必要はなく、もっと互いに融通していくこと前提でやれば負担も少なくてサービス部分に税金も投入できるだろうに、これまでは様々な交付金、補助金などで様々な施設を一巡作っていく「公共施設パッケージ」が展開されてきた。 さらには町民体育館は町民体育館、学校の体育館は学校の体育館、みたいなパターンまで徹底しているところも未だにある。 その結果として、今は維持費に多くの自治体が悩まされている。施設整備は支援はイニシャル、つまり建設費であり、その後の維持費は地元でヤリクリしなければならない。簡単な話、自分の家建てたとしてそれだけで終わらないですよね??水道光熱費もかかれば、定期的に壁とか床とか修繕しなければならないことが出てくる。特に多くの人が利用する施設はこのメンテナンスがとてもかかるので、建設してから、壊すまでの費用(ライフサイクルコスト)は建設費の4倍とも5倍ともなるわけです。もし建設費を半分を国が出してくれるとして、10億円の施設だったとする。5億円は国が出してくれれるということになるわけです。けど施設維持費は5倍の50億円かかるとすれば、5億円もらって、45億円を地元財政(といっても地方交付税とかがあるんですが)でやりくりすることになるわけです。 ただこの維持計画って今まで誰もたてなかった。 なぜならば、長らく右肩上がりの経済だったので、税収も右肩上がり。「どうにかなる」ということで建てていったら、あれ、どうにもならなくなったじゃん。←これが今。 ということで、公共施設なども相互融通しないと、今の状況を維持しているだけで財政破綻しかねない自治体もあるわけです。 とはいえ、「おらがまちにも立派な施設を」みたいな変な地域プライドを持つ人もいたり、なんかよくわからない運動家が「私たちのまちの体育館を守ろう!」とか、維持費なんて無視して「どうせ国が金だしてくれんだからもらえ。地元経済に貢献しろ」みたいなことをいう人がいますが、将来の世代が破綻するので、そんなくだらないプライドや意味不明な提案は諦めてください。 さて以下は、知人がシェアしてくれたケースですが、埼玉県宮代町の町立体育館を閉鎖し、隣接している町の市立学校の持つ体育館に賃貸料を支払って利用させてもらうことにしたそうです。素晴らしい! ■町立体育館「いきがい活動センター」の廃止と新たな利用方法の決定について ほんとこういう変化は素晴らしいですね。色々と担当者の方は大変なことを解決されていったと思いますが、互いに隣接エリアで融通しあっていくことは今後より大切になると思います。 今月のエリア・イノベーション・レビューでもこのテーマは大切なので、ちゃんと扱おうと思っています。自治体の方々などとも連携して、先日立ち上げた公民連携事業機構としても、この流れはちゃんと作って行きたいと思っています。 もう単独施設の時代でないばかりが、各町村単位での施設整備の時代でもなくなったのです。公共のために作った施設で、地域公共が維持できない財政になったら本末転倒。新たな原則に切り替わる時代に入りました。 産官学を横断した全国のまちづくり関係者が購読中。大学の教科書としても採用されている、 毎週木曜配信「エリア・イノベーション・レビュー」のお申込みはこちら。