商店街活性化策では常に「シャッター商店街」問題が取りざたされます。
商店街のお店が廃業し、お店が放置されてシャッターを下ろしてしまい、暗~い感じの通りになっている状況を指します。

そこで、少し個人的に地方でプロジェクトやったり、丁稚奉公の旅で全国の商店街回ったりしてきた実感としてある、シャッター商店街の問題構造が、あんまり共有されていないところもあるのでここに書いておきます。ま、全部が全部そういうわけではないでしょうが、こういうパターンもありますよ、ってことです。

まず、シャッター商店街もいくつかのレベルに分かれることもございまして、簡単な末期の流れとしては、

「商店街のお店の80%以上がシャッターを閉める」
→高齢者経営者が経営する店舗が存命中だけ継続するお店が残る(後継ぎは東京や地元で公務員などのパターン。大体商売で稼いだ場合に教育投資をして、子供を東京の有名大学に進学させて大企業へ、という流れを作った商店主は沢山います。)

「空き店舗がところどころ空き地になる」
→時間貸し駐車場になること多数。これによって一時期「商店街に駐車場がない」という声があったのがこういうところでは、いたるところに止められるようになる。
→アーケードがある場合にアーケードだけが残り、朽ちていき、危険が叫ばれるようになる
→街路灯なども維持できず、夜間点灯がまばらor消灯し、治安が悪化

 

 ↓
「ほぼ空き地化or住宅地化」
 →空き地の一部がアパートや民家とかになるパターン(ただ家主は基本、郊外に住宅を持っている場合が都市部の場合には多いので、自宅にするパターンはもう少し小さな商店街の場合。都市部ではアパートとかにすることもある)
 →住宅作っても入らないゾーンの場合には、本当の廃墟になっていく。
 →アーケード撤去とかを実施する場合も。(けどお金が無くて、撤去補助金をもらうというパターンが最近増加中)

みたいな感じで変化していきます。ま、シャッターがあるうちが華みたいなところもあります。

さて、こんなシャッター商店街が誕生、さらに進展していくと、「シャッター商店街をどうにかしなければならない!!!」という論調が一部に出てきたりします。空き店舗問題、みたいな話と言われたりします。

この時の基本的なロジックは、

空き店舗が増加する→商店街として歯抜けになってさらに集積力が低下→もっと空き店舗が増加する

だから早目に手を打て!!という話です。ま、それ以前に一応の中心部が衰退したらそもそもどうして駄目なんだ?というあたりもいくつかの意見があり、「まちのシンボルたる中心部が空洞化したらだめだ!」という固定観念による思考停止型、「かつてのにぎわいを失ってさびしいから」というノスタルジー型、「中心部の固定資産税などの低下は市の財政にも響く」といった税収論理型、などなどがあります。

ま、ともあれ色々なパターンから中心部をどうにか活性化するためには、空き店舗を減らしていく必要がある、ということが叫ばれるわけです。

しかしながら、もしシャッター商店街を撲滅させよう、ということに当たっては考えるべき原因には”2つ”あります。「なぜシャッター商店街になるのか」と「なぜシャッター商店街がそのままなのか」というあたりを考えます。

「なぜシャッター商店街になるのか」

シャッター商店街になるパターンとしては、大きく分けて2つあります。

1つは、自分で土地建物を保有して、自分で店舗も経営していた場合です。この場合には、地元住民の住居の郊外移転と車社会化、工場やオフィスの郊外移転、郊外大型店の進出による競争激化、といったことが重なって発生した際に、これらに対応策を全く講じることができず、店の経営が傾いて閉店します。ただここで大切なのは、もともと市場競争ですから、競争が生まれるのは当たり前で、そもそも商店街の先代たちはこの競争で地域で勝ったから中心部で堂々と商売をしていたわけです。
それが新たな競争が生まれた際に、それに対応できなかったという、個別の経営力の問題があります。さらに、せっかく中小企業組合を作っても互いにいがみ合ったり、新規出店者を排除したりしているうちに、チェーンストアとかどんどん魅力的な新規店舗を誘致してくるモールの経営効率に勝てなかった、みたいな協同における経営力の問題も合併症としてありました。

もう1つは、自分の土地建物の中に、テナントを入れて不動産業を営んでいた場合です。自分でも店をやって、それ以外のフロアを他に貸している場合もあります。この場合には、自分の店がだめになるのは前者のパターンと同じですが、テナントさんは、よりいい条件のところに抜けていくというところです。
テナントは簡単にいえばよりベターな契約条件のところに出ていきます。中心部より安くて、新しくて、利便性がよく、オーナーが低姿勢なところがあればそこに出ていきます。簡単にいえば勝ち馬にのるのが、一般的なテナント流動。チェーンとかも通行量とかのインディケーターで判断して、だめになったら一気に抜けます。もしくは、オーナー店と同様にそこで廃業してしまうこともあります。

さて、そんなこんなで、商店街のお店も競争劣位でだめになり、テナントさんも連鎖的に抜けていくor廃業、という状況で空き店舗、空きビルがどんどん中心部に表れてしまいます。

「なぜシャッター商店街がそのまま放置されるのか」

じゃ、中心部の空いた不動産がなぜにそのまま放置されるのか、です。
そもそも自動車社会において立地が悪い、建物が古い、とか色々と言われますが、外部環境はあらゆる物件において言えることで、それでも入居がある物件はあるわけです。

それでは中心部のシャッター商店街が解消されないのは、結局は、現在のような過酷な競争環境の中において、「家賃が高い」、「貸すための条件が複数(物販じゃないと嫌。信用する企業じゃない嫌)」であるのを変更することなくそのままに放置していたり、多少それらを譲歩したとしても、市場が求める水準では全くないのです。さらに、その中にはそもそも貸す気もない、ということさえもあります。

まずもって、シャッターを閉める場合には「お金がいります」。
ここが大切です。シャッター商店街の所有者たちは、お金がなくてシャッターを閉めるのではなく、お金があるからこそシャッターを閉めておけるのです。

というのも、事業をしている時には当然ながら事業の運転資金を借り入れています。小売販売の場合に、在庫品のために5000万円の投資を金融機関から融資してもらっていた場合、経営を断念して店を閉める場合には、借入金の5000万円を現金で金融機関に返済しないと辞められません。

もし現金がなければ、担保として土地・建物、自宅、自動車などを売却することで、現金化して返済することになります。つまりは、シャッターを閉めてのんびりはできず、全てを失います。夜逃げするケースも多数あります。自ら命を絶つ人さえいます。つまりシャッター閉めることになったら、地元に残ることさえままならない状況なのです。この場合にはシャッター商店街で優雅に生活なんてことはありません。

実際に、このようなお金がなくて廃業した所有者の物件が金融機関管理となりシャッター閉めて、損切りできずにずーっとそのままというパターンもありますが、最近は金融機関も厳しいので、競売物件になって損切りしてうっぱらうパターンも結構ありますね。(その前段階で、それなりにでかい融資規模になってくると経営自体に金融機関が介入して、自店舗での経営をあきらめさせて、テナントをつれてくる場合もあります。)

さて、本題に戻りますが、つまりはお金がないとまず自分の物件の事業を全てやめてしまって放置する、なんてことはできないのです。さらに、その後の自身の生活費、放置した物件の固定資産税などの維持費などもずーっとかかってきますので、それでも空いていても問題ない、という人が保有している場合があるのです。

かつて繁栄していたところほど、オーナーさんたちは複数のマンションを保有していたり、駐車場経営をしていたり、郊外にも店を出していたり、と運用している資産や事業自体のポートフォリオが中心部だけで形成されていない人もいます。もしくは、いい時代に大いに稼いで、持ち家も郊外にあり、自分の代は特段苦労せずやっていける、という方もいます。子供たちは別の仕事で生活をしていればなおさらです。

つまり、そもそも貸す必要がない方がいるのです。
過去に生み出した富+別の場所での資産からの富+子どもたちは自立+高齢世代への社会保障、といったあたりから特段何もしないほうがいい、という方がいるのです。

さらに、過去のプライドもありますので、わざわざ頭を下げたり、家賃を安くしてまで貸そうとはなりません。貸さなくてもいいわけですので。さらには、「自分が商売やっていた土地で、人に商売はさせたくない」という方もいらっしゃいます。もしくは「貸したはいいけど、出ていかなかったら困る」という心配で、「特段貸さなくてもいいから・・・」ということで貸さない方もいらっしゃいます。

本来、今は借り手のほうが少なくて、貸したい物件は沢山世の中にありますから、条件は顧客(テナント)にすり合わせるべきなわけですが、そんなことをする必要が上記のような理由からなかったりします。

そうしてシャッター商店街の解消策として出てくるのが、空き店舗補助金の注入ですが、前述のような高止まりしてわざわざ安くして貸す必要もないので、高い家賃を見かけで下げるために補助金をいれる。半額補助であれば、20万円の家賃を10万円にするのに、年間120万円を支払うわけですが、これはオーナーの懐に入ります。出店しやすい環境を創るということで、新規出店者に支援しているように見えて、一般には借り手のつかない無謀な家賃設定をベースにして補助金入れても事業者は助かるところか、「まともな金額で借りる」だけであるわけです。結局は、この差益はオーナーに入るだけなのです。

そして、そもそもその今の立地、条件では20万円では経営が成り立たないから、そもそもテナントが入っていないので、結局は支援期間が終わると、その店は廃業するか、もっと家賃の安い物件に移っていくわけです。。。当たり前の市場メカニズムです。

逆に「あいつんとこ補助金で借りてもらったらしいぜ」ということで補助金期待が高まって金額が高止まりするケースも・・・。それでは貸す必要がないのになぜ貸すのか、といえば、言っている条件にあう、あとは自治体や商店街やまち会社からお願いされて「仕方ないから貸してやった」的なある意味で名目が立ちやすく、「あとは退店とかについて面倒もおきない」という安心感というあたりがあります。

ともなるともますますもって高止まりして、他にもテナントがつかなくなります。全部の空き店舗に補助金配るほどの予算はありませんから、焼け石の水なわけです。

また、中途半端なシャッター商店街の場合には、貸す気があっても、周囲の目があって家賃を下げられないという人もいます。「お前が下げたから、おれんちの家賃も下げなくてはならない」ということがあるからです。
さらに、仲介をしてもらっている物件も、仲介している不動産屋もすでにいい時代に不動産売買とかで一財なしていると、そもそも仲介しないと生活が困窮することもなく、「両手持ち(借り手、貸してから仲介料もらえる物件)じゃないとやらないし、安くしてまでやる必要もない」というスタンスの方さえもいます。

「ペナルティ課税で貸さなくてはいけないように追い込む?!」
私は本気で中心部再生をするとコミットするのであれば、中心市街地設定をしたエリアの遊休不動産にはどんどん課税率がupするペナルティ課税すべきと思っています。貸さないといけないようにならない限り、利活用は進まないわけですが、今だとごね得です。ま、そこまでして中心部を再生しますか? ということです。実際には訴訟になったりするでしょうが、それくらいのことしないと、と思いますが、これも皆が持っている資産規模とのバランスで、「別にその程度であれば金で解決」という程度だとこの意味もないでしょうね。

実際、海外の空き不動産とかの地区再生は地元の地権者が自分たちの資金を拠出して活性化事業を展開するわけです。つまり増税されて、その財源をもとに活性化事業をやるわけです。成果が生まれれば、地権者が得するからです。

日本だけ、特段活性化しなくてもいいのに、周囲の人たちがお金をつけて、貸さなくてもいい一番活性化したら受益できる地権者たちの物件を無理やりあけてもらっているようでは話がねじれています。ま、シャッター商店街は私有財産として保護されていますし、その所有者がどうこうするつもりがないのに、外野で「さびしい」とかいくら騒いでも無理ということです。

「オーナーが変われば、変えられることもある。北九州、枚方、米子など」
一方で、空き店舗がばらばらあるような商店街でも、このオーナー問題の構造課題を改善したことで変化を生み出しているケースも沢山あるわけです。

・わたしも参画している北九州などの空き店舗目立つ裏通りのリノベーションなどもシャッター商店街前に頑張っているケースですし、

・大阪枚方の場合にも閑散としたすでに住宅に一部変わってしまった旧街道沿いでもりのべ店舗を完全民間でやっていますし、

・いよいよのシャッター商店街である米子のように一部改装費について補助を活用しながらも家賃はオーナーが全て条件を任せるということで解決していたり、

とケースは全国各地に沢山あります。

これらのパターンも基本的に「不動産オーナーは貸す気がある。借り手くれる人の条件に合わせる」という構造を徹底しており、間違っても家賃補助なんてことは活用していません。むしろ不動産の保有原価(管理費や固定資産税や一部の借入金金利など)を計算したりして、最低限運用に必要な資金をベースにした家賃設定をしています。家賃は言い値や、相場ではなく、原価があり、そこに利益をのっける、というまっとうなやり方をし始めています。

つまり、オーナーが本気になって、今の時代に合わせて対応すれば、中心部の物件は実はすでに建ててから時間が経過して投資した分は回収できているものも多く、貸す時の原価はそれなりにやすくなっています。修繕費などのメンテナンスコストとかを考慮しつつも、借り手の必要な床面積に小割にしたりすれば単価はあまり下がらなかったり、内装とかも基本入居する人たちと決めたり、共同販促したり、とかまでオーナーがコミットしていくと、ドライな他の不動産とは違う魅力を感じてくれる人たちもいるわけです。

ま、つまりはシャッター商店街はオーナー自身が本気になれば、解決できる方法論はある、と実際に各地での事業を共に仕掛けたり、仲間の成果をみていて感じています。逆に受験する気がない子に、いい家庭教師と一流の予備校ブログラムを提供したところで、成績あがらないのと同じく、後ろ向きなオーナーさんの物件はますます空洞化が進んでいると感じます。

(追記)
オーナーさんの姿勢が変わるタイミングは、オーナーの先代が亡くなって中堅若手に世代交代する時、物件を他の人に売却された時、とかがあります。売却されたわけのわからないところに売ってしまって風俗店とか入れられたらイヨイヨですが、かといって放置したままというのも、困るわけです。結局オーナーの役割ってとてつもなく大きいわけです。

「栄枯盛衰」
末期までいくと、もうどうにもならない場合もありますが、それも時間が解決してくれる場合もあるでしょう。そもそも内需が低調になって、さらにプレーヤーも増加している中で、過去のような規模感で再生するほうがありえないと思うところです。それは一定の基盤を保持している都市中心部の場合にも同様です。

かつて遺跡発掘をされている先生にお話を聞いた時に「ずーっと長く続いてきた貝塚を調べていると、ある時、ふと200年くらい人がいなくなって、また戻ってきているところがあるんだ。常にそうやって地域というのは盛衰を繰り返してきたのかもね」ということを言われていたことがあります。

僕らの歴史からすれば大きくとも、人類全体をみればわずかな時に栄えたから未来永劫そのままと思うほうが僕らもおこがましいのかもしれませんね。

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