カジノの誕生と日本の地域活性化・Verajohn紹介

人口の多くが東京に集中してしまっている日本。地方の過疎化が進んでしまっており、地方都市の若年層の減少が社会問題となっています。そこで近年よく聞くようになった言葉が、地域再生・都市再生です。 日本では数年前に統合型リゾート整備推進法が可決され、2020年代後半に巨大リゾートが完成する予定です。これにより、地域の活性化が期待されています。 統合型リゾート内にはカジノが建設されることが予定されており、国民から大きな注目を集めています。また、日本では少しずつオンラインカジノの人気が高まってきています。 地域活性化につながる!日本にカジノが誕生 日本ではギャンブルが法律で禁止されています。そのため、日本にはこれまでカジノが存在せず、カジノゲームをプレイするためには、ラスベガスやマカオ、シンガポールなどの海外に行く必要がありました。 しかし、統合型リゾートが建設されれば、地域活性化が促されるとともに、日本国内にカジノが誕生します。つまり、今後はカジノをプレイするために海外旅行をする必要がなくなるのです。 このように少しずつ日本人にとってカジノが身近な存在になり、カジノが気軽に楽しめる娯楽として定着するようになってきました。 これに伴い日本で少しずつ人気を集めているのがオンラインカジノです。オンラインカジノとは、ブラックジャックやバカラ、ルーレット、ポーカーなどのカジノゲームを、インターネットを利用してプレイすることができるサービスのことを指します。 オンラインカジノはヨーロッパのサービスであるため、数年前までは英語でしか利用することができませんでした。しかしここ数年では、知名度の高いVera&Johnをはじめ、多くのオンラインカジノが日本マーケットに進出しています。これに伴い、多くのオンラインカジノが日本語で利用できるようになっており、日本人ユーザーの数が急上昇しているのです。 カジノは合法? 日本ではギャンブルが法律で禁止されています。そのため、オンラインカジノの利用が完全に合法だとは言うことができません。 しかし、オンラインカジノは海外で合法的に提供されているサービスであり、拠点は日本国内にありません。そのため、日本の法律では裁くことができず、日本で禁止されているギャンブルであっても黙認されているという状態が続いています。政府側でもオンラインカジノの扱いに関する議論は進んでおらず、現在日本にてオンラインカジノは違法でも合法でもないグレーゾーンという位置づけとなっています。 そのため、日本からオンラインカジノを利用したからといっても逮捕されるようなことはありません。 今後日本にカジノが誕生することに伴い、ギャンブルに関する法整備が進められています。今後この議論が進んでいけば、オンラインカジノの扱いについてもはっきりとした規定が設けられるかもしれません。 地域活性化とカジノの誕生 日本では地方都市の過疎化が進んでいますが、地方都市に統合型リゾート・カジノが設置されれば、地方活性化が進みます。 国民が期待しているカジノの誕生までまだ数年がかかりますが、日本国内ではすでにオンラインカジノを利用することができます。パソコン、スマートフォンから本格的なギャンブルを楽しみたい、という方はオンラインカジノを利用してみるといいでしょう。

消滅可能性都市のウソ。消えるのは、地方ではなく「地方自治体」である。 (No.1016) | 経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

今年、増田寛也氏の「消滅可能性都市」のレポートが世間を騒がしています。中央公論新社からも「地方消滅」なるセンセーショナルな新書本が、出されたそうです。しかしながら、この論自体が大変乱暴な意見であると共に、その処方箋そのものは極めて危険である。ますます地方を衰退させかねないので警告します。 昨晩頭にきたので、連続ツイートをしてしまったのですが。その内容は以下に出してあります。 「消滅可能性都市のウソ。消えるのは都市ではなく、地方自治体である。」http://togetter.com/li/705776 このレポートが極めて世の中をミスリードしようとしているのは、2点あります。 (1)都市そのものは消えない、(今の)自治体が消える。「自治体破れて山河あり」 まずこの消滅可能性都市というのは、都市そのものが消えるということではない、ということです。このレポートで消えるといっているのは、女性が減少し出生数が減っていき、人口が1万人を切ると自治体経営そのものが成り立たなくなる、ということを言っているのです。→ http://www.policycouncil.jp/pdf/prop03/prop03_2_1.pdfつまりなくなるのは地方そのものではなく、今の単位のままの地方自治体であって、それは人口減少社会において当たり前な話で、むしろそのために行政改革があるわけです。従来の行政単位のやり方を捨てて、広域行政でサービスを回していく、複数自治体横断で居住・業務両面での立地適正化を図るという対応をしないといけないという、現実に沿って破綻しない社会を実現する行政議論をするのが当然です。このまま行くと自治体は破綻して行政サービスはできなくなりますよ、という何も自分達が変わるという前提がないのが驚愕します。「自治体破れて山河あり」。今の自治体を変えて、変化する社会に対応するほうが現実的です。 (2)処方箋がもはや夢であり政策ではない。もう1つは、政府を批判している体でありながら、処方箋がこれまで何度も政府がやってきた話を焼きまわししているだけという点です。 「東京一極集中をやめろ」というのも幾度と無く叫ばれた言葉です。都市機能を分散移転するとかアイデアはいくらでも出てきますが、東京から奪うという発想事態がイケてません。地方が伸びて、東京以上に魅力的になる方策を独自に考えるのではなく、東京から何かをぶんどろうという発想です。伝統的な地方分権的発想と同じで、権力を地方に戻すという、小さな箱のなかの争いです。 そもそも地方自治体単位での社会減(東京とかにとられる発想からすれば、社会増減の指摘だろう)は、都道府県単位でいえばはるか遠い昔から発生しています。以下の一覧は、総務省統計局統計調査部国勢統計課「国勢調査最終報告書 日本の人口」からひっぱってきた都道府県別人口増減に関する資料です。赤くなっているのが減少している数字のところです。社会減(流入する人口より流出する人口のほうが上回っている)に至っては、戦前から真っ赤っ赤というところが少なくありません。今更これを変えるという案そのものが非現実的で、べき論と曖昧な見込みだけで巨額の財政支出をしたら、むしろ地方に沢山のインフラや医療福祉整備だけがなされて、その財政的重圧で地方の公共サービスが劣化し、さらに人が(特に若者が)住まなくなる可能性のほうが現実的です。そして、それらのツケは僕らの世代が払うことになるのです。 ◯自治体のために人は住んでいるのではないさらに、「地方に若者が戻るようにせよ」「子供を産めよ増やせよ」といったところで、人々はより好条件の職を求めたり、より良い教育を求めたり、より良い都市生活を求めた上で、東京を選択しているわけです。2000年代の10年だけでも首都圏では100万人クラスの社会増があるわけです。政令市一個分の人口が地方から首都圏に集まっているのです。それだけ地方に仕事も、教育も生活も相対的に見てないから、多くの人達は移動しているわけです。結局、厳しい言い方をすれば、地方自治体を主語とするこのレポートに則れば、これまでの地方自治体は地方の若者たちにとって何の魅力もないことしかしてこなかった、残るに値しない、可能性のない地域になっていたのではないでしょうかね。結局仕事作ると言っても、また公共事業を増加させ、公共資産を無駄に増加させてその維持費で将来の自治体がひいひい言うようになるだけでしょう。戦後高度経済成長期の公共ストック問題を今抱えてこんだけ朽ちるインフラ問題とかいっているのですから。ストックを作る間だけの仕事に自分の未来を託しませんよ。普通に。若者たちは馬鹿ではありません。そんなことわかっているからどんどん地方を抜け、政治・行政より相対的に経済が強い大都市へと移動し、戻りもしないのです。 その人達を地方に戻して、子供を産めよ育てよ・・・。それは国策だ。そういうこといっているから人が抜けて自分なりの人生を選択しているのではないでしょうか。若者たちは子供を産み育てるマシーンではありませんよ。どういう見方しているのでしょう。ほんと。 最後に外国からの移民政策については「高度人材に限る」とか言っていますが、そんなのは世界の高度人材の人たちが選択する側です。高度人材なんて世界各国が来て欲しいと思う人材なわけで、売り手市場です。買い手側である日本が「高度人材じゃないとあかんわ」とかいっている段階で、勘違いした上から目線も甚だしい。 ◯既に政策のヒントは地方で起きている。今までどおりやってたら地方自治体が潰れるという当たり前なことを「地方消滅」と称して危機感を煽り、結局は「国がどうにかしろ」「国難だから若者どうにかしろ」というご意見を見るに、全くもってこんな政策打たれたらますます地方から若者もいなくなるなと思わされるところです。 しかしもう政策のヒントは地方で起きています。それをみれば色々なことがわかります。 乱雑な拡大した公共施設を集約し、その集約した施設開発は公共事業ではなく、民間開発事業で実施させて、公共床はテナントとして家賃を支払って入るという方式に変えられるようにする。行政からの支援についても、補助金・交付金ではなく、金融支援策に切り替える。民間施設も同居して公共施設にくる年間のべ数万人~数十万の人たちを対象にした民間商業・サービスを考えて、持続的な仕事をつくる。既存の使われていない空き家などのストックをリノベーションして住める、職場を作れる、都市型産業の形成に向けた政策を考えて、持続的な仕事にしていく。従来のなんでも税金でやるという地方の考え方を改め、経済開発的なアプローチを徹底しなければ、もちないわけです。さらに居住・業務に関しても立地適正化を図って効率化をし、行政サービスも自治体単位で実行せずに複数の自治体が相乗りする共同行政サービスの組合や会社をもっと効率的に走らせて、少ない財源でもサービスを保持できる方策を考えるのが当然でしょう。もっとディテールをちゃんとつめなければ、全く話にならないわけですが、方向性そのものがこのレポートは全く今の実情、これからの未来に適合していません。むしろいま地方で成果をあげているケースをみればこれらの政策的ヒントはあると思うんですが、関係者のお耳にはどうしても届かないようです。 何より「べき論」ではなく、そのべき論を現実に導入・実現していく方策がなければ言って終わりだから、僕らは悩んで色々と全国各地で仲間と共にチャレンジし、小さな成果が出たら他の地域でも試したりをしている。自分達の身銭をきって。リスクを負って。 高みの見物でウソの地方消滅を流布するのはやめて頂きたい。とはいえ、一市民にとっては、くだらない自治体の取り組みをみたら、その自治体を自らが変えることではなく、自治体を替える(自分が違うエリアに移住する)ほうがよっぽど簡単なのです。だからこそ人はダイナミックに移動しているのだと僕は思います。 政策的なヒントは以下のレポートなど見て頂くのがよいかと思います。 http://www.minto.or.jp/print/urbanstudy/pdf/research_01.pdf 毎週火曜配信「エリア・イノベーション・レビュー」のお申込みはこちら。http://air.areaia.jp/

とあるヤマザキショップの奇跡 (No.1004) | 経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

コンビニって、複数の店舗を並列化して情報を統計的に分析し、物量によって規模の経済、範囲の経済を最大限に働かせるために均質化を行うところにその競争力の源泉があると思うわけです。しかしながら、ゆるーいコンビニとして知られるのが、ヤマザキパンがやるデイリーヤマザキやヤマザキショップです。昔からまちにあったような酒屋さんとかがもっともハードル低くコンビニっぽくなれるみたいなところがあります。その反面、当然コンビニとしての競争力ってあんまりなくて、まぁヤマパン売ってるくらいしかないわけですが。。。 と思っていたら、知人がそんなヤマザキショップの中でも世代交代で、本部のコントロールが弱いことを活かしてローカルカスタマイズして魅力的になっている店があるという話を聞いて驚いたわけです。(詳しくは以下に埋め込んだFBのタイムラインを)確かにここまでコンビニが多くなると、薬局とコラボしてみたり、とか色々とコンビニもしますが、店自体がもう少し自由度を図ると面白くなるところもあるのかなーと。勿論、やる人のセンスに依存するわけですが。 どちらにしても経営がうまく行っていない時は、「息子に任せる」ということが極めて大切ですね。なかなかできないことですが。 以下にうまく表示されない場合はこちらをクリック   ◯追記 2014.1.16期間限定だろうけど、以下のTBSの番組でこのお店が冒頭取り上げられています。 「コンビニ独自サービス続々 “長くとどまれる店”に」http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20140115-00000046-jnn-bus_all 毎週火曜配信「エリア・イノベーション・レビュー」のお申込みはこちら。 http://air.areaia.jp/

「補助金依存の悪循環」(No.1003) | 経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

本日upした「補助金依存の悪循環」の画像をブログにも貼り付けておきます。 これは商店街や中心市街地活性化という分野を取り巻く補助金問題をイメージして整理したものですが、様々な方から「漁業も一緒」「農業も一緒」「アートも一緒」などなどフィードバックを頂きました。 このような状況は当然ながら貰う側にも問題がありますが、配る側にも問題があるということでもあると思っています。 麻薬依存症からの脱却同様に、補助金依存症からの脱却は個人だけではなく、組織的問題でもあるので、解決は極めて困難を極めます。ただ重要であるのはトップの意思決定であることは言うまでもありません。補助金をもらわない、もらわないでもやれるようにする。やらない場合は一度組織を解散する、くらいの気概の意思決定をしないと、なあなあと続いていき、結局活性化なんかないけど、自分たちの組織維持のために事業をやり続けていき、財政などの方針に左右され、予算が減らされて潰れるということになったりします。 ということで、やはりこういうループに入らないように、入ったら抜け出て自立してやっていくと決断することがトップに求められているのではないかと思っています。トップでさえこういう依存環境を受け入れてしまったら、もう相手のなすがままです。自分たちの地域の魅力を自ら生み出していけるよう、私も微々たる力ではありますが、頑張ってまいりたいと思っています。 以下は本画像に関するツイートです。皆さんが色々と参考になるご意見をくださっております。 http://twitpic.com/drg98x に関するツイート 毎週火曜配信「エリア・イノベーション・レビュー」のお申込みはこちら。http://air.areaia.jp/

「補助金依存の悪循環」(No.1003)

本日upした「補助金依存の悪循環」の画像をブログにも貼り付けておきます。 これは商店街や中心市街地活性化という分野を取り巻く補助金問題をイメージして整理したものですが、様々な方から「漁業も一緒」「農業も一緒」「アートも一緒」などなどフィードバックを頂きました。 このような状況は当然ながら貰う側にも問題がありますが、配る側にも問題があるということでもあると思っています。 麻薬依存症からの脱却同様に、補助金依存症からの脱却は個人だけではなく、組織的問題でもあるので、解決は極めて困難を極めます。ただ重要であるのはトップの意思決定であることは言うまでもありません。補助金をもらわない、もらわないでもやれるようにする。やらない場合は一度組織を解散する、くらいの気概の意思決定をしないと、なあなあと続いていき、結局活性化なんかないけど、自分たちの組織維持のために事業をやり続けていき、財政などの方針に左右され、予算が減らされて潰れるということになったりします。 ということで、やはりこういうループに入らないように、入ったら抜け出て自立してやっていくと決断することがトップに求められているのではないかと思っています。トップでさえこういう依存環境を受け入れてしまったら、もう相手のなすがままです。自分たちの地域の魅力を自ら生み出していけるよう、私も微々たる力ではありますが、頑張ってまいりたいと思っています。 以下は本画像に関するツイートです。皆さんが色々と参考になるご意見をくださっております。 http://twitpic.com/drg98x に関するツイート

商店街にとってアーケードの存在はいいことですか、わるいことですか? (No.991) | 経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

昨日、友人のG-netの秋元氏より朝一番で「商店街にとってアーケードの存在はいいことですか、わるいことですか?」という直球勝負なご質問を頂いたのを発端にしてやりとりをさせてもらいました。それを少し加筆修正して掲載します。 商店街のアーケード問題ってもう長らくというか、僕が商店街に関わるようになった15年ほど前からずーっと言われている話で、「アーケードを撤去すべきかいなか」「アーケードを維持する資金を稼がなくてはならない」とか結局のところ、あれだけの巨大建築物の維持は頭痛の種だったりします。 しかも、知らない市民の方もいるのですが、アーケードの多くは商業者たちによって組織されている商店街振興組合が、組合員から負担金を集め、それだけでは足りないので主体的に補助金を国や市町村からもらいつつ、さらに高度化資金などの制度融資を受けて建設・管理しています。道路の上にあるので自治体が建てていると思っている人もいるみたいですが、基本的には違って、「商業者たちがお願いしているから建てさせている」というのが基本的な体です。 アーケードは数億円、数十億円と建設費がかかり、さらに毎年数百万円、数千万円の維持費がかかり、それらを商店街振興組合に加盟する組合員の分担金を原資に上記のような補助金と制度融資で建設費は補助しつつ、しかし維持費は商店街の自前で賄うという構造です。 近年の商店街加盟店舗の経営難の状況で、この分担金を支払うのが苦しくなってきており、それを原因で商店街振興組合から離脱する店も多く、新規加盟も低迷していたりもします。メリットはアーケードがあることと言われても、それだけの自分達の店の経営にプラスがあるとは思わないというわけですね。 さらに、商店街振興組合の理事は制度融資を受ける際に「連帯保証人」のはんこを押していたりします。つまりアーケードの巨額の負債の連帯保証責任を負ったりしているのです。正直、自分の懐に一切お金は入ってこない(というか出て行く)ものの連帯保証人というものをするというのは、経済原則的にアウトなわけですが、ま、それが慣例としてやってきました。新規理事にこの連帯保証責任を負わすとなると引き受け手がいないので、建設時の理事メンバーが死ぬまで負っている場合がありますが、それでも死んでしまったら新たな保証人をたてないといけないということもあり、理事の引き受け手が出てこないという問題も実はあったりします。ある商店街振興組合では解散するにあたり、理事長が多額の負債を支払ったということもありますし、破綻するにできずにリビングデッドになっている商店街とそのアーケードもあります。 恐ろしいことにアーケードは老朽化するので、お金がなくても朽ちていきます。結果として、朽ちたアーケードは公道上の危険なものになったりします。実際にアーケードやアーチなどが老朽化して、市民が下敷きになって怪我や時には死亡事故になったりもしています。 とまぁアーケードと商店街振興組合という構造は結構根が深かったりします。 ◎秋元氏 : 商店街にとってアーケードの存在はいいことですか、わるいことですか?あるいはどういう場合には良くて、どういう場合には悪いですか? ■木下 : 私は商店街が自ら整備するアーケードは「貴族の設備」と思っています。とんでもない金額が常にかかり続ける巨大建築物だからです。だから、お金のありなしで判断します。 そもそも戦後の近代アーケードの発祥の地である北九州魚町は、朝鮮戦争特需でボロ儲けして、その資金の行き先がなくて、ひとまず小倉城を商業者の資金で再建して、さらにそれでも余ったから、アーケードを当時の建設省の許可無く勝手に立て始めたという経緯と聞いています。なので、お金がありあまってる商業者が構成している商店街は、自分達ので判断してアーケードをしっかりと整備して、個別の事業者が持つ建築物では提供できない機能を皆で作るのはいいと思います。つまり、商品、価格、サービスなどの競争力は万全で、これをより強固にするための手段としてアーケードを作るって話ですね。 けど、お金ない事業者はアーケードみたいな直接的な投資対効果がみられにくい設備にお金投資するくらいなら、その資金を自分達の本業に対して投資すべきと思っています。新商品開発したり、店舗改装したり、従業員教育したり、ともっと資金を経営基盤の強化のために投資すべきです。 これとは別に、自治体とかが雪があるから中心部にアーケードが必要だとか色々と言うのであれば、社会資本整備としてちゃんとやればよくて、商業者の活性化とは全く関係ありません。イマドキ、屋根があるだけで買い物にくるなんて人は少ないし、その少ない人達のために数億円かかる設備に投資する投資対効果なんてありませんから。 今、全国各地でアーケードを撤去していっている商店街は沢山ありますので、僕はオープンモールにして、既存建築のまま若い人たちにリノベーションかけて店舗や住まいとかにしてもらうという形がやっぱりいいなーと思っています。自分としての実践的にも、その他の実例的にも。 ◎秋元氏 : なるほどですねー、すでにアーケードがある場合にそれをかつようするのがよいのか、それとも撤去して各建物のリノベーションや再開発がしやすい状況を作るのが良いですか?あるいは、複数の振興組合で構成されている柳ヶ瀬で特定のかしょ、特定の組合のみが撤去をきめたことはどう評価すると良いのかしら? ■木下 : 基本、撤去ですね。未来まで負債施設であるアーケードを残すくらいなら、ここでいっきに取り払った方が、中期的に良い方向に向くと思います。ただ重要なのは、「アーケードを建てるとか維持するとか撤去する」というだけで、商店街はよくならないということです。 重要なのはそれぞれの不動産や店自体がどうその機会を皮切りに変わるのか、というのなしに、単に共有部分であるアーケードの話だけする方が空虚でもあります。あくまで補助機能であって、メインではないのです。特定の団体だけが決断できた、と評価すればいいと思いますよ。むしろ、皆でそれに続いて、全体的に撤去して、その上で各店舗や不動産が何するかという方が大切す。 最悪なのは、アーケード取り払って、その上でストリートの街路整備とかまたむちゃくちゃやって、けど、店とかはそのままでクソ、みたいなのは全くもって何も変わりません。税金を無駄遣いして終わりなだけと思います。アーケードの問題は商業としての諸問題を思考停止させる理由にはなりません。 あと、再開発を岐阜の商店街でもってのはもうないと思いますよ。まぁあっても商業ビルはなく、マンションとかに鞍替えしちゃうとかでしょうか。既に駅前であれだけやってて、郊外でも普通に新規開発物件はあるわけなので、まちの競争力を形成するには既存物件での対応を徹底して低コスト経営が実現できるところからスタートして、その後開発については検討したほうがいいです。 やはり今後、経済的に細っていく中で、撤去する補助金が活用できる自己資金があるうちに、僕としては普通に撤去をしたほうがいいかなと思います。とある商店街では、アーチが崩れて女子高生が下敷きになって亡くなられたり、その他の地域でも商店街振興組合が破綻し、その負債部分を理事長が負担されたり、と。アーケードをお持ちの商店街では連帯保証人のはんこを理事さんたちが押されていると思いますが、そういうことも起こりうる、ということで、せこい木下は早めにとれるものはとっておいて、その上でできることをちゃんと進めないと、後々大変なことになるというものを見てしまっているのでございますー。 だから、そんなカネは問題なくはらえるぞ、という商店街のみ使えばいい手段であると思っています。 ◎秋元氏…

60%の地域で人口は半減し、人口が増加するのは1.9%の地域だけ。 (No.984) | 経営からの地域再生・都市再生

結構有名な資料だと思っていたのですが、意外と知らない方もいらっしゃるみたいなのでご紹介。私も当時参加していた国交省の国土審議会での日本の国土長期展望という資料群です。 特に私がインパクトを持って見たのは、このスライド。2050年に向けて国土の地点別での人口減少を色分けで示した資料で、白抜きになっているところは人がいなくなる地域です。国土の大部分で人口が疎になっていくのです。さらに市町村別でも政令市レベルでも平均で19.8%減少し、1万人以下のまちにおいては48%減少。人口増加が起こる地域は全体の1.9%にすぎないという予測です。 勿論これから自然災害や移民政策とかで色々と変化もあるかもしれませんが、現在の傾向を引っ張っていくとこうなるよ、という一つの統計であります。 この審議会の席では「もはや均衡ある国土の発展とか言っている場合ではなく、人が残る地域をしっかりと意識して社会資本整備を進めていかなければ総倒れになる」という議論がなされたことも印象的でした。 地域活性化の取り組みとか考えるときにこの大きな変化を認識した上でやらないといけないと思って取り組んでいます。荒波に侵食される岩の如く削られていくわけでございまして、地域の未来を託されている方々がこういう現状ベースでのファクトを基礎としてアクションとらずにどうにかなるだろ、的な考えではいかんと思っています。 あなたのまちの未来はどうなっているでしょうか。 ◯【資料】「国土の長期展望」中間とりまとめ 産官学を横断した全国のまちづくり関係者が購読中。大学の教科書としても採用されている、毎週木曜配信「エリア・イノベーション・レビュー」のお申込みはこちら。 http://air.areaia.jp/

[商店街の不都合な真実]なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか (No.1001) | 経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

簡単にいえば、「商店街はまちづくりとかコミュニティがうんぬんやめて、ちゃんと本業頑張ろうぜ」、というテーマの一冊。 著者の方とはひょんな機会でお会いした以降、ご無沙汰していたのですが、今回新著を出されていたので気になってツイートしたら、編集の方から献本頂きました。誠に有難うございます。そして、届いた瞬間に一気読みいたしました。「商店街ってもう衰退しまくっているよなぁ」と思っている商店街活性化とかには当然関わっていない大多数の一般の方に向けて、その業界事情を平易に書くことに徹されているのがよくわかる一冊です。 ◯商店街の自己評価でも繁栄しているのは1% さてタイトルにもなっている「繁栄している商店街が1%しかない」というのは冗談ではないのです。 何年かに一度、中小企業庁の委託調査事業で実施している「全国商店街実態調査」(以下のURLに一式ありますのでどうぞ)の平成21年度版で商店街が自ら「繁栄している」と回答している割合が1%なのです。以下、繁栄の兆しがある2.0%、まあまあ横ばいである17.9%、衰退のおそれがある33.4%、衰退している44.2%と続く。と、一応、商店街自身の主観(贔屓目はいって)でも「うちは繁栄しているよなー」と回答しているところが1%しかないということです。 1970年の調査では、39.5%の商店街が「繁栄している」と回答していたのに・・・・。ということなのですよね。 【参考】全国商店街振興組合連合会公式サイト「商店街実態調査」 ま、じゃあ、なんでこの40年くらいで、一気に繁栄しなくなったのか、という話になるわけです。 かつてはダイエー、今はイオンができたから、ヤマダ電機がきたか、駅内に店が開発されたから、という競合商業集積に対するものか、もしくは駐車場がないから、雨に濡れるから、街灯が少なくて暗いから、監視カメラがなくて安全じゃないから、という自分たちに原因があるのではなく、外部環境要因によって衰退しているのだ、というようなことが言われたりします。。。そして、その対応策が補助金などで支援されたりする。共同店舗を開発して大型店対策をしたり、駐車場開発、アーケード開発、LED街路灯開発、監視カメラ設置などなど、そしてそれらが実施された商店街は活性化したということで「成功事例集」に掲載されていく。。。とまぁそういうわけでございます。 ◯成功事例集にのっている商店街の多くは、活性化していない。 しかしながら、著者は「成功事例集にのっている商店街のほとんどで活性化していなかった」と自身の調査経験から語っています。ま、これは商店街◯◯選とかの商店街をみればよく分かる話です。新・商店街◯◯選にいたってはますますもって。 これは僕も常日頃Twitterとかでも指摘していますが、補助金を入れた案件が失敗したら困るので、「成功事例集に掲載する」という側面があります。あとは特段故意ではなく、成功事例集の調査を実施する際に案件調査のパイプとして全国各地に存在している経済産業局をベースにします。それぞれの経産局の所管エリアの成功事例を出すようにいわれるのですが、当たり前なんですが、経産局の方々の多くは補助金を現場で運用されている方々なので、普段は補助金を申請にきて取り組みをしている商店街のことは熟知されているのです。が、そもそも補助金を使わずして活性化している商店街、もしくは商店街さえ全く関係なく不動産オーナーや一部の事業家とかがやってる活性化の情報というのは、あまり知る術がないのです。つまり経産局にきて「補助金ください」と言わない、勝手にやって成果をあげている商店街活性化事例の情報はあまり耳に入らないということなのです。仕方ないですね。情報は常に非対称なのです。現場の網羅的な情報は、役所の情報ルートでは調査できないのです。 結果として、成功事例集は補助金を使ったケースを中心にとりまとめられざるを得ない、シンボル事業は巨額の補助金を活用したもの、という境遇にあったりします。そして時のシンボル事業は後に必ず経営危機に陥るということも定番です。まちの活性化の『起爆剤』が別の意味で起爆するわけです。起爆済みの再開発事業などは全国に多数ございますが、「失敗事例集」は作られませんので、転ばぬ先の杖がないというところであり、失敗は繰り返されます。 ◯活性化しない理由は「コミュニティ活動」と「まちづくり活動」をやっているから。 これは商店街は地域で社会的価値がある、商店街=コミュニティの担い手といったような解釈で、商店街の共同でのまちづくり活動に補助金を支給してきた、商店街組織での活動に支援をしてきた、その政策コンセプト自体に間違えがあると本書でも指摘しています。これは全くもって私も異論は有りません。 中小商業政策は「産業政策」です。決して社会保障事業ではありません。 しかし中小商業は弱いと決めつけて、それを保護して欲しい、保護しようという方向性で議論が進み、さらにいつのまにかその保護するための補助金の受け皿として商店街振興組合などが地域商業の対象であり、前提になってしまった。農業を振興することが、農協活性化策になってしまっている問題と同じだと指摘しています。知り合いの農業ベンチャーの経営者とも「商店街も農業も似てるね」と前に話していたことがありましたので、これは全くもってそうなってしまっていると感じるところです。個別の中小店舗にとっての商店街施策ではなく、「商店街」という団体に対する支援策になっているわけです。そしてこの根拠を支えるために「商店街は弱いけれども、地域にとって大切でしょ、だから補助金ちょうだいね」という路線になっているわけです。各店舗の私有財産に税金は使えない、税金で金儲けされてはこまるということで、なぜか儲けるためにやっているはずの商店街が、いつのまにやらコミュニティだの、まちづくりだの、といった活動をやるようになっていきます。 かつては儲かっていたので、その儲けを地域活動に資するという、ある意味で富める者として地域を支えるという役割だったのが、いつのまにか儲かりもしないのに地域活動を税金もらってやる、という意味不明な方向に転換していってしまったのです。 結果として貴重な店舗経営にかけるべき時間の多くを、今ある加盟店だけを中心にして、それらを活性化するための施策としては「コミュニティ」と「まちづくり」に絶賛大投入!! 本来、産業政策に必要なのは、「生産性改善」(少ない財で大きなスループットを生み出すことでの社会生産性の向上)を目指しながら、具体的には「新陳代謝の促進」(常に競争があり、より魅力的な商品・サービスが出てくるダイナミクスの確保)です。 共同事業はコストが増大するような設備に投資するのではなく、本来であれば各店舗の財務が改善するようなことに投資するのがあまり前なんです。例えば、商店街は一銭の金も生まない街路灯やカラー舗装に各店舗が負担金を支払うのに対して、工業団地の中小企業組合は、各企業の電力代金を軽減するために共同受電事業に投資します。皆で一括して電気を購入するて電気利用料金単価が引き下がるため、各企業は利益を生みやすくなるandコスト競争力が増す=生産性が向上するという話だからです。つまり産業政策としては、共同して売上のために"なるかもしれない"ようなことにコストを払うのではなく、しっかり利益を生み出すことに貢献する事業に投資すべきなのです。今のモデルとは活性化事業やればやるほど負担が増えるという構造です。 あわせて、組合員向けの事業ではなく、新陳代謝が大切。大手商業にしても芳しくない店舗は退店してもらい次なるテナントを入れます。ネット店舗でも同様に売上の悪い店はどんどんランキングを落としたり、検索にひっかからなくなります。けど、それによってそれぞれは、強いものが常に生き残り、魅力を保っているわけです。 しかし商店街では、既存店舗のオーナーは自分の持ち物件であることもあり、過去の蓄財もあるため、しっかりと新陳代謝を生み出さない期間を経て、結果としては購入する消費者にとっては全く買う動機が見当たらない店ばかりが立ち並ぶ場所になってしまったわけです。 1%しか繁栄していないとしても、業態を一部でも変える店は17.4%に以下のように留まっており、さらにもはや大型店との競争でさえ問題ではなく、もう魅力ある店がなく、後継者もいないと認識している人たちが半数近くを締めるようになっているわです。 それをどんだけ業績が悪くても業態を変えたりせず、同じ人達で経営を続け、さらに商店街としては本業の改善に直結しない「コミュニティ」と「まちづくり」に時間も金も費やしてしまった。 結果として今の商店街、つまり核となる店も魅力のある店もなくなり、高齢化が進むけど誰も継いでくれないくらいしか儲からない、という状況があるわけです。けど、過去の蓄えがあるので、自分たちが死ぬまではほどほどに食っていける、もしくは周辺にマンションとかモールに専門店街に店持っていたりとかで、別のルートで収入があるから、そこまで商店街にある店の活性化には力を入れない、みたいなこともあったりするわけです。勿論困っている人もいますが、けどやっぱり物件放置してもいきなり生活が行き詰まらないという人は余裕があるわけです。口では大変だといいつつも、本当に苦しい人は、とっくの昔に二束三文でも売っぱらったり、夜逃げしてしまったりしているのですから。 【参考】シャッター商店街の敵は"豊かさ"!? (No.966) ◯本業回帰の中小商業活性化を。 本書で言われているのは、つまりは衰退しているのは「商売に集中してこなかったからじゃないの?」という話なのです。…

公共施設も”シェア”の時代。 (No.967) | 経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

地方都市との関わりが多いと、全く信じられないことが沢山ある。 その一つが、数千人のまちであっても、数十万人のまちであっても、同じように公共施設をパッケージ的に作っていこうという流れがある。体育館でも、学校でも、病院でも、図書館でも。ただ行政区域に縛られる必要はなく、もっと互いに融通していくこと前提でやれば負担も少なくてサービス部分に税金も投入できるだろうに、これまでは様々な交付金、補助金などで様々な施設を一巡作っていく「公共施設パッケージ」が展開されてきた。 さらには町民体育館は町民体育館、学校の体育館は学校の体育館、みたいなパターンまで徹底しているところも未だにある。 その結果として、今は維持費に多くの自治体が悩まされている。施設整備は支援はイニシャル、つまり建設費であり、その後の維持費は地元でヤリクリしなければならない。簡単な話、自分の家建てたとしてそれだけで終わらないですよね??水道光熱費もかかれば、定期的に壁とか床とか修繕しなければならないことが出てくる。特に多くの人が利用する施設はこのメンテナンスがとてもかかるので、建設してから、壊すまでの費用(ライフサイクルコスト)は建設費の4倍とも5倍ともなるわけです。もし建設費を半分を国が出してくれるとして、10億円の施設だったとする。5億円は国が出してくれれるということになるわけです。けど施設維持費は5倍の50億円かかるとすれば、5億円もらって、45億円を地元財政(といっても地方交付税とかがあるんですが)でやりくりすることになるわけです。 ただこの維持計画って今まで誰もたてなかった。 なぜならば、長らく右肩上がりの経済だったので、税収も右肩上がり。「どうにかなる」ということで建てていったら、あれ、どうにもならなくなったじゃん。←これが今。 ということで、公共施設なども相互融通しないと、今の状況を維持しているだけで財政破綻しかねない自治体もあるわけです。 とはいえ、「おらがまちにも立派な施設を」みたいな変な地域プライドを持つ人もいたり、なんかよくわからない運動家が「私たちのまちの体育館を守ろう!」とか、維持費なんて無視して「どうせ国が金だしてくれんだからもらえ。地元経済に貢献しろ」みたいなことをいう人がいますが、将来の世代が破綻するので、そんなくだらないプライドや意味不明な提案は諦めてください。 さて以下は、知人がシェアしてくれたケースですが、埼玉県宮代町の町立体育館を閉鎖し、隣接している町の市立学校の持つ体育館に賃貸料を支払って利用させてもらうことにしたそうです。素晴らしい! ■町立体育館「いきがい活動センター」の廃止と新たな利用方法の決定について ほんとこういう変化は素晴らしいですね。色々と担当者の方は大変なことを解決されていったと思いますが、互いに隣接エリアで融通しあっていくことは今後より大切になると思います。 今月のエリア・イノベーション・レビューでもこのテーマは大切なので、ちゃんと扱おうと思っています。自治体の方々などとも連携して、先日立ち上げた公民連携事業機構としても、この流れはちゃんと作って行きたいと思っています。 もう単独施設の時代でないばかりが、各町村単位での施設整備の時代でもなくなったのです。公共のために作った施設で、地域公共が維持できない財政になったら本末転倒。新たな原則に切り替わる時代に入りました。 産官学を横断した全国のまちづくり関係者が購読中。大学の教科書としても採用されている、 毎週木曜配信「エリア・イノベーション・レビュー」のお申込みはこちら。

シャッター商店街の敵は”豊かさ”!? (No.966)

商店街活性化策では常に「シャッター商店街」問題が取りざたされます。 商店街のお店が廃業し、お店が放置されてシャッターを下ろしてしまい、暗~い感じの通りになっている状況を指します。 そこで、少し個人的に地方でプロジェクトやったり、丁稚奉公の旅で全国の商店街回ったりしてきた実感としてある、シャッター商店街の問題構造が、あんまり共有されていないところもあるのでここに書いておきます。ま、全部が全部そういうわけではないでしょうが、こういうパターンもありますよ、ってことです。 まず、シャッター商店街もいくつかのレベルに分かれることもございまして、簡単な末期の流れとしては、 「商店街のお店の80%以上がシャッターを閉める」 →高齢者経営者が経営する店舗が存命中だけ継続するお店が残る(後継ぎは東京や地元で公務員などのパターン。大体商売で稼いだ場合に教育投資をして、子供を東京の有名大学に進学させて大企業へ、という流れを作った商店主は沢山います。) ↓ 「空き店舗がところどころ空き地になる」 →時間貸し駐車場になること多数。これによって一時期「商店街に駐車場がない」という声があったのがこういうところでは、いたるところに止められるようになる。 →アーケードがある場合にアーケードだけが残り、朽ちていき、危険が叫ばれるようになる →街路灯なども維持できず、夜間点灯がまばらor消灯し、治安が悪化    ↓ 「ほぼ空き地化or住宅地化」  →空き地の一部がアパートや民家とかになるパターン(ただ家主は基本、郊外に住宅を持っている場合が都市部の場合には多いので、自宅にするパターンはもう少し小さな商店街の場合。都市部ではアパートとかにすることもある)  →住宅作っても入らないゾーンの場合には、本当の廃墟になっていく。  →アーケード撤去とかを実施する場合も。(けどお金が無くて、撤去補助金をもらうというパターンが最近増加中) みたいな感じで変化していきます。ま、シャッターがあるうちが華みたいなところもあります。 さて、こんなシャッター商店街が誕生、さらに進展していくと、「シャッター商店街をどうにかしなければならない!!!」という論調が一部に出てきたりします。空き店舗問題、みたいな話と言われたりします。 この時の基本的なロジックは、 空き店舗が増加する→商店街として歯抜けになってさらに集積力が低下→もっと空き店舗が増加する だから早目に手を打て!!という話です。ま、それ以前に一応の中心部が衰退したらそもそもどうして駄目なんだ?というあたりもいくつかの意見があり、「まちのシンボルたる中心部が空洞化したらだめだ!」という固定観念による思考停止型、「かつてのにぎわいを失ってさびしいから」というノスタルジー型、「中心部の固定資産税などの低下は市の財政にも響く」といった税収論理型、などなどがあります。 ま、ともあれ色々なパターンから中心部をどうにか活性化するためには、空き店舗を減らしていく必要がある、ということが叫ばれるわけです。 しかしながら、もしシャッター商店街を撲滅させよう、ということに当たっては考えるべき原因には"2つ"あります。「なぜシャッター商店街になるのか」と「なぜシャッター商店街がそのままなのか」というあたりを考えます。 「なぜシャッター商店街になるのか」 シャッター商店街になるパターンとしては、大きく分けて2つあります。 1つは、自分で土地建物を保有して、自分で店舗も経営していた場合です。この場合には、地元住民の住居の郊外移転と車社会化、工場やオフィスの郊外移転、郊外大型店の進出による競争激化、といったことが重なって発生した際に、これらに対応策を全く講じることができず、店の経営が傾いて閉店します。ただここで大切なのは、もともと市場競争ですから、競争が生まれるのは当たり前で、そもそも商店街の先代たちはこの競争で地域で勝ったから中心部で堂々と商売をしていたわけです。 それが新たな競争が生まれた際に、それに対応できなかったという、個別の経営力の問題があります。さらに、せっかく中小企業組合を作っても互いにいがみ合ったり、新規出店者を排除したりしているうちに、チェーンストアとかどんどん魅力的な新規店舗を誘致してくるモールの経営効率に勝てなかった、みたいな協同における経営力の問題も合併症としてありました。 もう1つは、自分の土地建物の中に、テナントを入れて不動産業を営んでいた場合です。自分でも店をやって、それ以外のフロアを他に貸している場合もあります。この場合には、自分の店がだめになるのは前者のパターンと同じですが、テナントさんは、よりいい条件のところに抜けていくというところです。 テナントは簡単にいえばよりベターな契約条件のところに出ていきます。中心部より安くて、新しくて、利便性がよく、オーナーが低姿勢なところがあればそこに出ていきます。簡単にいえば勝ち馬にのるのが、一般的なテナント流動。チェーンとかも通行量とかのインディケーターで判断して、だめになったら一気に抜けます。もしくは、オーナー店と同様にそこで廃業してしまうこともあります。…